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2018年6月

2018年6月20日 (水)

ミニ・レコルトモンツァ (タミヤ1/24改造) 最終回・もう一台のレコルトモンツァ

前回ご案内しましたように、もう一台のミニ・レコルトモンツァを紹介します。

一見すると、今回製作したものじゃないかと思われるかもしれませんが。

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後ろ姿です。よく見ると細部が省略されているのが分かるでしょうか。

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実は、これは1/43スケールのモデルです。今回製作した1/24(左)と並べるとこうなります。

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1/43の同世代のミニと並べてみました。右のミニカーはビテス(VITESSE)のオースチン・ミニ SPRITE1983年)です。

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もちろん1/43のミニ・レコルトモンツァ自体のキットやミニカーなど存在せず、今回と同様、改造によるものです。ベースとなったのは、エレール(HELLER)のキット「オースチン・ミニ」で、このキットは近年でも再販されていますが、これは、1986年頃にグンゼ産業(現クレオス)から発売されたものです。当時は同社がエレールの輸入代理店だったのでしょう。

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この1/43のミニ・レコルトモンツァは、上記のキットが発売された頃、すなわち今から30年以上前の私が大学生の頃に製作したものです。ケースに入れて大切に保存していたので、研ぎ出したボディのツヤもほとんど失われていません。さすがに金属を使った部分(アンテナ等)には薄く錆が浮き、ヘッドライトのクリアパーツが接着剤の影響で白く濁るなどの経年劣化は見受けられますが、それ以外はほぼ製作当時の状態を保っています。

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室内もそれなりに作り込んでいます。シートは、キットのものをプラ板とパテで成形し、細切りにしたマスキングテープに着色したシートベルトを付けています。よくみると右座席のダッシュボード下から赤い消火器が顔を覗かせています。足回り(タイヤ・ホイール)はチョロQのものを流用したと思いますが、はっきりと覚えていません。

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ミニ・レコルトモンツァは、私にとって発表された当時から大好きな車であり、今でも世界一かっこいいミニだと思っています。

 

そして今回、1/24のモデルを製作したのを機に、ミニマルヤマさんを訪問させていただきました。実車を見ることができれば程度に思っていたのですが、突然の訪問にも関わらず、丸山和夫社長にお話を伺う幸運に恵まれました。ミニ・レコルトモンツァが誕生した経緯はもちろん、ベースとなった車について、私はイタリア(イノチェンティ)製だと思っていたのが、実は右ハンドルの英国車をベルギーに持ち込んで左ハンドルに改造したものだということも初めて知りました。

 

丸山社長から、ご自身の幼少期からミニ専門店を始められたきっかけまで貴重なお話を伺ったのですが、社長のミニに対する熱い思いがなければ、この車が存在し得なかったことをあらためて思い知らされるとともに、ますます好きになりました。

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2018年6月17日 (日)

ミニ・レコルトモンツァ (タミヤ1/24改造) その10

いよいよ最終段階です。これまで紹介していない小物類ですが、まずフロントカウルのエンブレムです。
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グリル部分も含めたエンブレムの自作デカールをハセガワのミラーフィニッシュに貼り、これを透明プラ板に貼ったものです。当初はグリルの格子部分をプラ板で作成し、アバルトのエンブレムのみデカール表現と考えていたのですが、この大きさでシャープなものを作る自信がなかったので、すべてデカールとしました。この後、他のエンブレムも同様ですが、エンブレム部分をジェルクリアで盛り上げています。

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リアのフィラーキャップは大型のレーシングタイプですが、さかつう製のものを使用しました。

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実車のものは、基部に厚み(高さ)があるので、コトブキヤのモデリングサポートグッズシリーズ・丸ノズルの適当な大きさのものを噛ましています。

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オリジナルのマフラーは、アルミパイプで製作。キットのエキゾーストパイプの後半部分をカットし、本パーツをシャーシに直付けしました。

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ピロボールのロッドが付いたレーシングワイパーは、エッチングパーツですが、実車はかなり小振なものなので、1/24用ではなく、TAMEO製の1/43のものを使いました。ルーフのアンテナは洋白線、基部はアルミパイプをカットしたものです。

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展示ベースも紹介しておきます。最初に述べましたように、ミニマルヤマさん発行の見開き型のカタログを参考にしたものです。カタログに掲載された写真はてっきりミニマルヤマさんのファクトリーの一部だと思っていたのですが、今回お伺いしてファクトリーとは別の場所だということが分かりました。シャッターに描かれたBRITISH LAYLANDのロゴ等は自作デカール、柱のレンガ模様はスチレンボードにけがいて塗装したものです。

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一応、モデルの製作に関しては今回で終了です。次回、もう一台のミニ・レコルトモンツァを紹介しつつ、ミニマルヤマさんを訪問して分かったことなどを述べて本篇を終わりたいと思います。

2018年6月14日 (木)

ミニ・レコルトモンツァ (タミヤ1/24改造) その9

再びミニ・レコルトモンツァです。遅ればせながらのご報告ですが、出品したタミヤプラモデルファクトリー新橋店主催の第10回モデラーズコンテストで入賞の栄に浴しました。6/9に授賞式のため上京し、翌日にミニマルヤマさんを訪問させていただきましたが、そのお話は最終回にします。

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さて、エンジン関係ですが、基本的なブロックはキットのものをそのまま使用し、アルミヘッド、エアクリーナーを自作しました。ウェーバーのキャブレターは、さかつう製です。本来はラジエターの位置にオイルクーラーが付くので、キットのオイルクーラーパーツを縦にして付けました。ラジエターは、多分フロントカウルが覗くボディ下部に付いていると思われますが、よく分からなかったのでオミットしました。何といっても、エンジンに関する資料は写真1枚のみなのでこれが限界です。
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続いて足回り、ホイールは10インチのスピードスター・レーシングですが、他のキットからそのまま流用できるものはなく、自作するしかありません。とは言え、一から作る技術もないので、キットのノーマルタイプのリム部分のみ残して削り取り、ディスクはアオシマのマークⅢのパーツを使用しました。ディスクのデザインは、実車のものはもっと細かいのですが、雰囲気ということで。リムとの間に少し隙間が開くので、プラ板で埋めています。

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タイヤはダンロップ・レーシングの太いものを履いており、当然キットのものは使えません。ジャンクパーツから適当なものを探して持ってたので、正直なところ何のものだったのかよく分かりませんが、多分、1/32の自動車用だと思います。これも、そのままでは角張っていたので、角を削っています。

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なお、製作途中では、車高のバランスやトレッドがどうなるか分からなかったので、タイヤ・ホイールは最後に取り付けることにしました。キットではシャーシの組立段階でサスペンションに取り付けることになっているブレーキパーツや、これに付くホイールの車軸の長さなど、最後に調整して接着することにしたのです。結果的には、車高に関しては、フロントは全くそのまま、リアは1ミリ程度低くするだけで済んでいます。

 

2018年6月12日 (火)

7thスカイライン R31 4ドア前期型 (フジミ1/24改造) 最終回

モデルは無事、完成しました。いくつか不満な点はあるものの、前作よりはよくできたと思います。モデルの製作だけであれば、7thスカイライン編は前回で終了となるのですが、最後にこの車の前期型にこだわった理由などを述べておきたいと思います。

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1984年のこと、7thスカイラインがデビューする1年以上前に遡ります。当時、大学に入りたてで右も左も分からなかった頃、学舎内の掲示板に張ってあった1枚のポスターに目が惹きつけられました。

 

自動車、特にスカイラインが好きな人なら誰もが知っている桜井眞一郎さんの講演会を案内するポスターだったのですが、これが、今で言うところの就活セミナー(日産プリンス自動車販売主催)で、掲示板は大学の就職課のものだと知ったのは、参加した後のことです。当日、自分以外の参加者が皆、スーツを着ていて不思議に感じたことを覚えています。今思えば、就職活動には程遠い大学1回生の参加をよく認めてくれたものだと感心します。ともかく、当時は6代目のR30ですが、スカイラインが大好きだった(その理由は別の機会に)私は、生で桜井さんの姿を拝見できることが嬉しくて、周りが見えていなかったのでしょう。

 

(セミナー参加の記念品として頂いたアルバム)

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残念ながら、講演の内容はほとんど覚えていませんが、一つだけ、スカイラインの次期モデルの足回りが画期的なものになる趣旨の話をされたことだけは印象に残っています。1年後に7thスカイラインが登場し、HICAS(四輪操舵システム)の導入を知った時、ああ、このことをおっしゃっておられたのかと思い返したからです。この車は、そんな当時の記憶を懐かしく呼び起こしてくれるのです。

 

(アルバムの中表紙に印刷された桜井眞一郎さんのサイン)

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実際には、桜井さんは7thスカイラインの開発終盤段階で病に倒れられ、後任に託されたということを後々に知りました。ということは、時期的に私が聴かせていただいた講演会の直後に倒れられたということになるでしょうか。もちろん、その後、回復されてオーテックジャパンの初代社長に就任するなど、ご活躍されたのは周知の通りです。

 

今は亡き桜井眞一郎さんに想いを寄せて、7thスカイライン編を終わります。

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2018年6月 9日 (土)

7thスカイライン R31 4ドア前期型 (フジミ1/24改造) その16

展示・保存ケースはタミヤのディスプレイケースを使用しました。

ベースにタミヤの「情景シート(石畳B)」を貼りました。地面を石畳としたのは、当時の広告写真のイメージを再現したかったからです。

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当時の実車広告。

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ネームプレートは、A-oneの「手作りステッカー・メタリックシルバータイプ」を使用して製作しました。直接ベースに貼ってもよかったのですが、板の感じを出すために0.4ミリ厚の透明プラ板に貼り、また、そのままではツヤがあり過ぎだったので、上からツヤ消しクリアーを吹いております。

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当初、ネームプレートには、オーソドックスに車名の「GTパサージュ・ツインカム24Vターボ」などを入れるつもりでしたが、シンプルに「7thスカイライン」としました。当時のカタログコピー「都市工学」の文言と合わせ、実車カタログからスキャンしたものをステッカー地に印刷しました。

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2018年6月 7日 (木)

7thスカイライン R31 4ドア前期型 (フジミ1/24改造) その15・完成

ここしばらくミニ・レコルトモンツァを紹介しておりましたが、先のスカイラインがようやく完成しましたので、再びスカイラインに戻ります。

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ウインドウのメッキモール類は、ハセガワのミラーフィニッシュを貼っています。前後バンパーから左右を取り囲むモールは、「その7」で紹介しましたように、0.4ミリ洋白線をモールの溝に埋め込んでいます。

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細部では、ボンネット上にウインドウ・ウォッシャー、フロントフェンダー上にマーカー、左のリアサイドにラジオアンテナを取り付けました。ウインカー類は、裏側にタバコの銀紙を貼っています。

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ひとまず車体は完成しました。あとは保存を兼ねた展示用のケースを製作します。タミヤのディスプレイケースを利用しますが、ちょっとだけデコレーションしてみようと思っています。次回、紹介いたします。

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