7thスカイライン R31 4ドア前期型 (フジミ1/24改造) 最終回
モデルは無事、完成しました。いくつか不満な点はあるものの、前作よりはよくできたと思います。モデルの製作だけであれば、7thスカイライン編は前回で終了となるのですが、最後にこの車の前期型にこだわった理由などを述べておきたいと思います。
1984年のこと、7thスカイラインがデビューする1年以上前に遡ります。当時、大学に入りたてで右も左も分からなかった頃、学舎内の掲示板に張ってあった1枚のポスターに目が惹きつけられました。
自動車、特にスカイラインが好きな人なら誰もが知っている桜井眞一郎さんの講演会を案内するポスターだったのですが、これが、今で言うところの就活セミナー(日産プリンス自動車販売主催)で、掲示板は大学の就職課のものだと知ったのは、参加した後のことです。当日、自分以外の参加者が皆、スーツを着ていて不思議に感じたことを覚えています。今思えば、就職活動には程遠い大学1回生の参加をよく認めてくれたものだと感心します。ともかく、当時は6代目のR30ですが、スカイラインが大好きだった(その理由は別の機会に)私は、生で桜井さんの姿を拝見できることが嬉しくて、周りが見えていなかったのでしょう。
(セミナー参加の記念品として頂いたアルバム)
残念ながら、講演の内容はほとんど覚えていませんが、一つだけ、スカイラインの次期モデルの足回りが画期的なものになる趣旨の話をされたことだけは印象に残っています。1年後に7thスカイラインが登場し、HICAS(四輪操舵システム)の導入を知った時、ああ、このことをおっしゃっておられたのかと思い返したからです。この車は、そんな当時の記憶を懐かしく呼び起こしてくれるのです。
(アルバムの中表紙に印刷された桜井眞一郎さんのサイン)
実際には、桜井さんは7thスカイラインの開発終盤段階で病に倒れられ、後任に託されたということを後々に知りました。ということは、時期的に私が聴かせていただいた講演会の直後に倒れられたということになるでしょうか。もちろん、その後、回復されてオーテックジャパンの初代社長に就任するなど、ご活躍されたのは周知の通りです。
今は亡き桜井眞一郎さんに想いを寄せて、7thスカイライン編を終わります。
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