イッコー・イオタで作るミウラJ 最終回 ・ イオタの模型を最初に発売したメーカーは?
今回のミウラJを製作するにあたって、初回(その1)で述べたように、ベースとなるイオタのキットをハセガワなどの秀作ではなく、あえてイッコー(一光模型)とした理由は、レストア編の時と同様、「イッコーこそが、日本で初めてイオタのキットを世に出したメーカーである」ということを、声を大にして伝えたかったからです。
昭和50年代初頭、いわゆるスーパーカーブームに乗った多くの少年がそうであったように、私にとっても、ミステリアスなランボルギーニイオタは特別な存在でした。ただ、その人気とは裏腹に、イオタのキットはすぐには発売されませんでした。待ち切れなかった私は、日東から発売されていた「サーキットの狼シリーズ」の1/28ミウラをイオタに改造したことを覚えています。思えば、これが人生初のプラモデルの改造ですが、もちろん小学生レベルなので大したことはありません。戦車のキャタピラの「焼止め」でプラが熱で簡単に溶けることを知っていたので、ヘッドライトの睫毛を接着する部分を熱したドライバーで雑に切り取り、半円に丸めたプラ板でライト内側を製作し、丸く切った透明プラ板でカバーするといった程度でした。サイドのアウトレットなども同様です。そんな時、ついにイオタが発売されることを知り、それこそがイッコーのキットで、その時の期待と失望についてはレストア編で述べた通りです。
このような自身の体験から、我が国でイオタのキットを最初に発売した模型メーカーはイッコーであると信じて疑わないのですが、一つ問題があります。それは、2008年に出版された「日本プラモデル50年史」の付録CD-ROM「日本模型新聞にみる昭和プラモデル全リスト」(以下、「50年史リスト」という)の存在です。このリストによると、発売時期はイッコーが1977年4月で、マルイや日東(サーキットの狼シリーズ)が何とそれより早い1月となっており、検索して発売順に並べるとこれらがトップに来るのです。
そんなはずはありません。もし、あの出来の良いマルイや、イッコーより100円安い日東のキットが本当に先(しかも3か月も前)に発売されたのであれば、絶対にこれらを買っていたであろうことは、前述のように改造してでも欲しかった私のイオタへの強い想いからも理解いただけると思います。そして、何より懸念するのは、模型誌などで著名なライターが、50年史リストを根拠に「イオタのキットはマルイ(or日東)が初めて発売」などと述べ、読者がそれを信じてしまうことなのです。
このリストについて50年史の注釈では、「日本模型新聞の1958年から1989年までの各号の①本文記事、②広告、③新製品リストの中からデータを抽出し、作成したものです。(中略)記事、及び広告では予告製品もかなりあり」とし、「完璧なリストではありません」と断っています。確かにリストの一覧にも、「発売(予定)」と記載され、イオタの場合も、実際に発売された月とメーカーが発表した発売予定月などが混在するなどして、月単位で誤差が生じていることは想像に難くありません。
ならば実際はどうだったのかを知りたいと思い、当時の模型誌を調べることにしました。模型誌であれば、新製品情報や広告はもとより、作例記事の掲載時期で確証が得られることを期待したからです。スーパーカーブームの真っ最中に発刊されたモデルアート誌の1976年12月号から翌’77年8月号を調べることとしました。さすがにこれだけ古いと手持ちはなく、すべてヤフオクで落札したものです。
残念ながら、当時のモデルアート誌の新製品情報は、現在のようなタイムリーかつ網羅的なものではなく、少なくとも調べた範囲では、イッコーやマルイのイオタの発売時期を明確に記述した文章などは見つかりませんでした。
まず、’76年12月号では、10月に開催された第16回全日本プラモデル見本市が報じられ、各メーカーが発表した新製品がリスト化されています。この中でイオタの製品化を発表したのは唯一イッコーのみで、一番乗りでした。また記事では、発売されたばかりの日東サーキットの狼シリーズのディノRSなど初期4点が紹介されています。
続く’77年1月号では、「現在発売されているプラキット一覧表(カーモデル部門)」が掲載されていますが、発刊された前年11月末時点(あるいはそれ以前)の製品と思われ、まだイオタの文字はどこにもありません。記事では、マルイから発売されたばかりの1/24マルボロマクラーレンM23が紹介されています。
2月号(12月末発刊)では、アオシマ1/20スーパーカーシリーズの第一弾、カウンタックLP400が新製品として取り上げられました。特集は、タミヤ1/12の発売に合わせたポルシェ934です。
3月号では、アオシマ1/20カウンタックや、マクラーレンに続くマルイ1/24タイレルフォード007の作例が掲載されています。本号が発刊されたのは1月末で、50年史リストでマルイや日東のイオタが発売されたとする時期ですが、それをうかがわせるような記事は全く見当たりません。
4、5月号では、イオタに関して特筆すべき記事はありません。ただ、5月号(3月末発刊)で、マルイ1/24のカウンタックLP500がようやく新製品として紹介され、翌6月号で作例が掲載されました。そして、その6月号の日東の広告で、1/24イオタの新発売が伝えられました。
5月末発刊の7月号は、恒例の静岡ホビーショー(当時は静岡プラスチックモデル見本市)の速報です。車のキットは、各社まさにスーパーカーのオンパレード。イオタに関しては、イッコーはもちろんのこと、先の日東1/24、グンゼ1/24、アオシマ1/20などの完成品の展示が写真で紹介されています。また記事では、ナカムラ1/24、フジミ1/20も発売予定とされましたが、何故かマルイについては全く触れられていませんでした。
そして8月号(6月末発刊)で、ついにイオタの最初の作例記事が掲載されます。製作されたキットは日東1/24で、おそらく5月の静岡ホビーショーの前後に発売されたものと思われます。実は、この作例記事にイッコー・イオタの発売時期のヒントがありました。日東のキットが秀作であるとした上で、「中にはミウラだかイオタだかどちらともいえないキットも見かけるが、これは発売を急いだためと思われる。日東の場合は発売時期がややおそかったので、(以上原文のまま、後略)」と記述されているのです。まず、これで日東のイオタが最初ではなかったことがはっきりしました。さらに、あの出来の良いマルイのイオタが上述のように酷評されるはずがありません。すなわち、ミウラだかイオタだかよく分からず、急いで発売されたキットとは、まさにイッコー・イオタを指しているに違いありません。レストア編で述べたように、ミウラP400S以前の幅の狭いリアカウルや、急いだ故に初版でシャーシなどのモールドが省かれていたことなどとも整合するのです。以上から、イッコー・イオタが最初であったことに疑いの余地はないとして、具体的な発売時期ですが、おそらく50年史リストにある1977年4月というのが妥当な線だと思います。
ところで、当のイッコーは、ほどなくして廃業し、静岡ホビーショーの出展はこの年が最後だったようです。イオタを最初に発売した模型メーカーが、スーパーカーブームの終焉とともに消えていったことに、得も言われぬ感情を抱くのは私だけでしょうか。
というわけで、これで本編を終了しますが、イッコー・イオタに関しては、実はまだやりたいことがあるのです。開始はいつになるか分かりませんが、「原点回帰」がキーワードです。
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